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楓引き渡しの交換条件として、得意の西洋料理を封じられたケンが、使者として遣わされた先は、信玄亡きあとの武田家!信玄の温情で武田から脱出したケンにとってそこはかつて捕らわれた地だが…!? アマゾンより引用
信長のシェフ 第13巻
第12巻からの続きになります。今回の表紙はケンが座りながら右手に包丁を持ち、左手に箸を持って何かをしているシーンが描かれています。ただし何をしているのかはわかりません・・。今回の表紙はピンク系の色になっていますね。
天文23年、1554年甲斐・躑躅ヶ崎館。
武田家一門は元服すると父上の同じ信の字が与えられるそうですね。私はどんな信の名をつけていただけるのでしょうか?、母親にそう尋ねる四郎。しかし、母親はこう答えるのでした、そなたは側室の子であり、四男・・・、生まれたときより外に出されることが決まっているのです。そなたが武田一門と認められることはありません。けれどそなたはいつか、母の里の諏訪家の通字、頼の字をいただくことになるでしょう・・・。
先代の信玄は三年は死を秘匿として内政に努めよと仰せられていた、勝頼様はまだ若輩、我ら重臣がお諌めしなくてどうする。言葉が過ぎますぞ穴山殿、これは正式な武田家当主がお決めになられたことですぞ、と家臣一同が揉めています。
屋敷の前には武田家当主への家督相続の祝の為に訪問していたケンの一行が待たされており、武田の家臣が対応をするのですが、突然のご訪問とあって、我が殿にあらせられてはお会いする準備も整っておりません、今暫くこちらでお待ち下さいと、館から遠くの屋敷に案内されます。
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不思議がっていたケンたちは、そこで屋敷に出陣の挨拶をしに来た秋山信友の声を聞き、武田が出陣の準備をしていることを知ることになるのですが、ケンと同行していた滝川一益一行はここで人質として捕らえられてしまったことに気が付きます。
武田の動きを信長に知らせないといけないと、屋敷に捕らえられているケンや滝川一益たちだったのですが、一益は落ち着いており、武田がこのような愚かな行為をするとはな・・・と淡々と語り始めます。
いかな敵とは言え、親睦の使者をこれ幸いととらえるようでは、外交も出来ぬやつと近隣諸国に思われても仕方がない、武田の器の小ささを露呈し、同盟国に不信を抱かせる行為だ、当主が指示したことならば、諌める家臣はおらなんだのか・・・。
しかし、ケンは勝頼がこんなことをするのか?と、一人疑問に思うのでした。
そこでケンは、自分はこの台所で働いて居るものであり、台所に戻りたいと警備している兵士たちに告げ、以前武田信玄のもとにいたケンを知っている武田側の人間の計らいで無事に一人、その場を抜けることが出来ました。
そして、台所にいる武田の料理番に対して、秋山に出す料理を作らせてくれと嘆願するのですが、そこで以前、ケンが武田信玄の元で料理を作っていた際に、自分たちの信用がなくなったことを話します。
その際にケンは必ず一品だけは我らに作らせていた。我らから仕事を奪うことケンはしなかった。その時の礼だ・・・、と秋山の料理をケンが作ることを許可するのでした。
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